『生きるぼくら』原田マハ著 読了
東山魁夷「緑響く」が表紙とあらば・・・
文庫版の表装には東山魁夷の『緑響く』が清らかに迎えてくれる。
私の足を止めるには、それで十分だ。
ましてや著者が原田マハとくれば、舞台は長野県で、主人公は信濃美術館に勤めている。そして、東山魁夷の「緑響く」をめぐるミステリーだな?とキュレってるのを期待する。
まあまあ、落ち着け私!
キュレって無くても、構わないじゃないかっ。ドキドキ
やっぱり・・・
この『生きているぼくら』は、キュレってなんかいなかった。
なんと、いじめを受けひきこもる24歳の青年がドカンと作品の中心に座っていた。
ひきこもりを引っ張り出す物語
母子家庭で、思春期にいじめを受けひきこもりになった24歳の青年の名前は人生(じんせい)。
(これだけでもう、反マハ体制に突っ込まれそうで背後確認してしまう私)
まあまあ、そう最初っから真っ赤にならずに、名前なんてどってことないのよ・・・
(気になる人は、気になるだろうけど、私的にはマハ慣れしてるもんで気にしな~い)
しかも、この人生は、昼過ぎにお腹すいて目が覚めて、母親が用意したカップ麺とコンビニのおにぎりで空腹を満たして、ネットゲームに明け暮れ、他人のブログに中傷コメントを残して鬱憤を晴らす。脳みそグダグダに蕩けた頃に、寝る・・・
アルバイトを探すわけでもなければ、昼夜働く母親への敬意もへったくれもなく、何様?な暮らしに自分を追い詰めて死んだ魚の目をしている24歳。
う~~~~~ん!
私が母親ならば、自分のほうこそグレて息子を困らせてやるんだが。
母ちゃん、健気というか馬鹿というか・・・
そんな、母ちゃんだけど、やっとこ腰を上げて一通の手紙を残して家を出てしまう。
現金五万円と少しばかりの年賀状。そしていわくつきの梅干しのおにぎり。
年賀状は、誰かを頼れって事なんだけど、そこに「余命数ヶ月」と毛筆で書かれた祖母マーサからの1枚を発見する。
住所は奥蓼科・・・長野県茅野市にある奥蓼科である。
奥蓼科と東山魁夷
おっと!ようやく、表紙の「緑響く」が繋がってくるぞ~。とルンルンと鼻歌♪
だって、この絵は奥蓼科の「御射鹿池」(みしゃかいけ)という灌漑用水湖を描いているのだから。(鹿狩りをした名残の地名らしい)
人生は都会を出て、マーサおばあちゃんの住む田舎を訪ね、自分のこれからを探す旅へと動き出す。
茅野駅に到着し、腹がすいて立ち寄った「めし屋」で出会ったのは人情味溢れるカッコいい大人の志乃さん。
彼女の車で奥蓼科のマーサおばあちゃんの家まで辿り着くことが出来た。
もう、誰かによって自分は生かされている。その始まりのような志乃さんとの出会いの場面ではお醤油と出汁の香りがぷ~んと空腹に染み渡る。
変わった米作り
人生は、蓼科のマーサおばあちゃんともう一人の孫娘である対人恐怖症の「つぼみ」(再婚した父の相手の連れ子)と出会い、一緒に米作りを始める。
米作りといっても、自然の米作りであり、機械や農薬を使わない。
水も張らない。まるで野原で米作りである。
皆には、呆れられるようなマーサおばあさんの米作りだが、物語をリードするのはこの「自然の米作り」なのだ。
稲と一緒に伸びる強い草、秋に枯れてしまい堆肥となる草、雑草とは呼ばないそれらと向かい合い、地中に住む虫の命さえも尊ぶ。
手間を十分にかけて育てる過程こそが「生きるぼくら」なのだ。
ぼくらはみんな生きている
この歌が頭に流れ出して止まらなくなる。
カエルだって、おけらだって、あめんぼだって、みんなみんな生きているんだ友達なんだ~。
ひきこもりだって、対人恐怖症だって、認知症だって、就職脱落者だって・・・
そんな人間たちが、ともに一緒に育てた自然の米。うまいに決まってる。
もったいなくて、もったいなくて食べれる気がしない。
自分が、その苦労を共に味わっていなければ・・・
「1粒の米には、7人の神様が住んでいるのよ。」
マーサおばあちゃんの言葉がそこかしこで木霊する。
米作りの本ではないが・・・
途中、米作りがしたくなる。
しかし、米作りなどしなくても、作品を読み終わる頃には自分の中の「生きる」糧となる対象への愛情が湧き上がってくる。
夕食に並んだ料理、「ただいま」と帰宅する夫、そして、隣で鼻をほじって宿題をしている娘。
時には、暗闇の中で脅える自分がいて、そこから這い出すには容易な事でない。
世間では、ひきこもりは親も子もしっかりしろ!という突き刺さる視線が向けられ、一層外へ出る勇気なんて出て来やしない。
そんな時には、自然の中で戻ってみたらいいんだ。
田舎のうざったいくらい人情味溢れる人間関係に、足を突っ込んでみるといい。
そんな事すら現実的でない者は、この作品を読めばいい。
「生きるぼくら」
きっと、元気が出て、周りが色鮮やかに見えてくるかもしれないから。
『永遠をさがしに』原田マハ著 読了
久しぶりにマハってみた
『永遠をさがして』の文庫本バージョンの表紙の木彫り、素敵だね。
さて、気を落ち着けて・・・
原田マハさんと言えば『楽園のカンヴァス』を書いた作家として有名。
キュレーターとして経験を生かした美術関連の小説を得意としている。
だもんで、時々ふと思う・・・
「キュレってるだけでいいんじゃね?」
なぜならば、「なしマハ」といった作品が多く、安定していないのだ。
さすがに本を閉じて「ペッ!」と舌打ちして「キュレってろ!」と怒鳴り散らしたりはしないが・・・してる人もいるらしい。
あらすじ
世界的な指揮者の父が海外赴任となり、ひとり日本に残った女子高生の和音(わおん)。
そこへ突然新しい母がやってきた。型破りの彼女には秘めた過去があり。
母と娘、音楽。女性たちの再生物語。
Amazon内容紹介より引用
キュレって無い・・・
はい、美術作品は出てこない・・・
キュレって無いってことは、慎重にならざるを得ないのだが、出だしの一文を読んで確信した。
「小鳥が、逃げた。」
これは、大丈夫なマハだ。 と。(偉そうでごめんなさい)
音楽の世界に足を突っ込んだマハ作品。初か?
世界的な指揮者の父の子の名前が和音(わおん)だからといって、文庫本をちゃぶ台に叩き付けるのはちょっと待てだ!
だって、それ、ちょっと作品的に美味しいポイントなんだから。(笑)
当の本人だって、自分の名前が安直過ぎて父親に向かって物申している。
超恥ずかしいとかって!
しかも、「なんで「のだめ」とかにしてくれなかったのかな、、もう~っ」とまで言ってる💦
チェロやマエストロといったクラッシックに明るくない私には興味のない環境の物語だけれど、そんな小道具を使っているくせにみるみる音楽の世界へと誘われてしまう。
あれ?これって?どっかで・・・
2016年度 本屋大賞1位『羊と鋼の森』に似てる
今話題沸騰中の本屋大賞1位を受賞した『羊と鋼の森』宮下奈都著にどこか似ている。
あっ、本屋大賞おめでとうございます。
私、4位だなんて予想しちゃったけど、本当馬鹿でした。
本屋大賞も捨てたもんじゃないわ。
この作品なら使ってない脳の文字を映像に変換するどっかを刺激すること間違いなしだわ!
でも・・・
もしかして、宮下さん、この『永遠をさがしに』の影響バッチ受けてたりする?
と、チラッとよぎるほど、ちょっと雰囲気が似ていた。
でも、やっぱマハさんの文章は読みやすい時と、そうでない時がある。これは表現力が素晴らしかった。
「羊・・・」でも、ピアノの調律の世界を文字に乗せて読者の想像力を掻き立て五感を刺激して読み終わりたくない、手元に置いて何度も読み返し、その世界に再び足を踏み入れたいと思わせるオーラをまとっていた。
そして、『永遠を・・・』の解説がなんと宮下奈都さんだった。
もう、絶対この作品をリスペクトしただろ?と、イッシッシとあれこれ想像しちゃったわ。あの書き方は、こっちのここよ!みたいにね。
でもまあ『永遠を・・・』は、そんな五感な点では「羊」よりは少し劣るかもしれない。
しかし、天才マエストロの娘、和音と突然現れた継母の真弓との真っすぐで熱い体当たりな関係が実に心地よい。
あの西加奈子の『漁港の肉子ちゃん』を彷彿させ、ニシカナ風のユーモアよりも上品で少し気取った感じのソレが、マハ流だな~納得の花丸だ。
真弓と和音の掛け合いがどうもしっくり来るのは、しょっぱなから真弓の人間性に惚れてしまったからかもしれない・・・
手にしたものを失う時
才能というのは、努力してもどうしたって駄目なもんがある。
音楽家は、小さな頃からの環境と指導力によって才能が伸びるらしい。
しかし、幼少時に自分の意志ではなく「させられていた」ものを、手放す時がやってくる。これは自分の意志なのだろうか?と、悩む時が「壁」なのかもしれない。
ピアノ教室に3歳から通っていた私は、どうやって教室をサボるか毎回頭を悩ませていた。結局、やめてしまったが後悔などしていない。(笑)
しかし、生まれ持って才能がある人間は違う。
再び、自ら何かの「きっかけ」と出会い育んだ才能を伸ばして「自分の意志」で音楽を奏でる時が来る。
Amazonの書評が酷すぎる
この作品って、Amazonでかなりこき下ろされてるって噂だったから覗いてきた。
安っぽい韓流ドラマみたいだ!とそりゃ、気持ちよく言いたい放題だった。
こんなスパッと切ってかかっているレビューは嫌いじゃない。
でも、残念だが、この作品はキュレって無いマハさんの新境地を見た!と言ってもいいよ。
自分が母となって、自分の母を思い出し、娘の立場に思いを馳せ、あの日、夢中になってステッドラーの鉛筆を握ってデッサンしていた学生時代にタイムスリップした。
★5つ!自信を持って♪
『田園発 港行き自転車』上・下 宮本輝著 読了
『縁』の物語
私は、学生時代に長野県から東京へ上京した。
当時は、新幹線ではなく特急「あさま」で碓氷峠を越える時には横川で補助機関車を連結していた。
もうすぐ軽井沢だ・・・
すると、一気に車内に冷気が吹き込み窓の外には浅間山のすそ野が広がって見えた。
そんな時は決まって、涙が込み上げてくる・・・なぜだろう?
私は、そんな故郷への思いを浅間山で推し量っていたのだが、それを「地縁」と呼ぶのか?
『田園発 港行自転車』の舞台は、富山県下新川郡入善町の黒部川から物語が動き出している。
故郷の土地の縁・血のつながりの血の縁・仕事で出会った人々との仕事の縁
「仕事で知り合った人の奥さんが親戚だった。東京で、ふるさとの同じ友人と出会った。そしたら共通の友人がいて驚いた。」
奇跡と呼ぶには、あまりに日常的で、それでも出会えた事は本当は奇跡なんじゃないか?とふと思うことって無いだろうか?
他人だと思って見過ごしていた縁が、突然繋がり始め動き出した心温まる物語。
あらすじ
富山県の滑川駅の前に残された一台の自転車。「秘密」を残したまま自転車メーカーの社長である「父」は急死してしまった。15年後、絵本作家となった「娘」は意外な出会いをきっかけに、父が残したものを辿ることになる。そこには、出会うことのなかった人々との奇跡なような命のつながりがあった。
「ぼくのことをすきになってくださいね」
五歳の男の子から絵本作家に届いた一通のファンレター。
時を超えて、そこの思いが輝きを放ち始める。
美しく豊かな富山の地を舞台に人々の絆を描き出す。
富山・京都・東京、三都市の家族の運命が交錯する物語
書き出しにやられた!
「前略 蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて、本当に想像すらできないことでした。」
川端康成の『雪国』の書き出しより、私は『錦繍』の濁音で韻を踏んでる書簡形式の一文がとても魅力的で好きだ。
『田園発 港行き自転車』の書き出しも、どうしたって期待してしまう。輝りん♪どう来る?って。
今回もやられた・・・
私は自分のふるさとが好きだ。ふるさとは私の誇りだ。何の取り柄もない二十歳の女の私が自慢できることといえば、あんなに美しいふるさとで生まれ育ったということだけなのだ。
東京に出て働いていたが、どうにもこうにも水が合わないのか元気が吸い取られて本来の自分を失ってしまった脇田千春は、東京を後にして故郷へ帰る決心をしたのだ。
3ページあまりを使った書き出しは、少し喋っては考え込み、次に続く言葉を訥々と口にし、また語り続けるといった送別会の礼を述べる挨拶が書かれていた。
ここから一気に物語へ突入し、数多くの主役級の登場人物に出会いながら富山の自然を満喫し本の中で知り得た人々の縁を結びながら読み進めていく。
富山、行ったかも
輝りんは、私をすっかり富山の入善や愛本橋へと連れてってくれた。こんなにも、風景描写が脳裏に浮かび上がるのは何故だろう?
そして、読み終わってから、実際に富山に足を運びたい衝動が止まらなくなる。
輝りん読みの猛者たちは、きっと小説を訪ねる旅に出ているに違いない。
ゴッホの「星月夜」
作中にはゴッホの「星月夜」が頻繁に登場する。その絵を私は一度だけ見ていた。
どうにも、ぐるぐると目が回る晩年の厚塗りの作品には、富山の美しい風景と人々の心の闇のような深いテーマが転がっているように思えてならなかった。
ラフマニノフ
父からのプレゼントの万年筆を自分仕様に作り上げる道具に柔らかい砥石が登場する。
そこには、「ラフマニノフ」という文字を書く。その文字だけを書いて仕上げていく。
文具好き、ラフマニノフ好きな私には、その両方を兼ね備えたお題が転がっていてびっくりこいた!
今後、ボールペンやシャーペンの試し書き(万年筆ではないのか?)では「ラフマニノフ」と書くと強く心に誓った。
自転車
自転車と表題にあるように、作中には自転車に関連する人々や自転車そのものが登場する。自転車が好きな人には、「おお!」と唸るような自転車が登場するのであろうが、私はママチャリ専門で、しかも大人になってからはほとんど乗らないので「おお!」は「ふ~ん」な程度であった。
けれども、二人乗り自転車の後ろに乗って、前で濃いでくれる人に全てを任せて楽をしよう!と黒い気持ちが芽生えたのは内緒だ。
輝りんは、きっとサイクリングをしながら、自然豊かな土地を巡るのが好きなんだろう。まるで自分が自転車に乗っているような疑似体験をして、太ももがパンパンになったのは、輝りんの文才があってのことだと感心した。
終わり方
上下巻と長編のこの作品の終わり方は、きっと賛否両論あるのだろうと予想する。
こんなに長いこと読んで、最後に胸を締め付けられるような悲しみがそこにあったとしたら・・・それは、ちょっと嫌だよ。
ところが、この作品は、そうじゃない!登場する人が皆そろって優しい。
想像の余白をぼんやりではなく、くっきりと残して物語の「縁」が動き出したまま終焉している。
ありがとう!この先は、自分が物語を作ってみよう。そう顔を上げて本を閉じた。
友人から借りた本
輝りんを本読み達に布教している友人から借りた本だったが、文庫化したら購入したい。何度か読んで、酔いしれたい。この友人に出会わなければ、私がこれほどまでに好みの作家に出会えたかどうか・・・
これもまた「縁」なんだと、輝りんが笑ってうなずいていそうだ。
貸してくれた友人は、2円切手10枚を栞にしていたらしい・・・
栞、返さなければ・・・(笑)
『羊と鋼の森』宮下奈都著 読了
本屋大賞ノミネート8作目
手にした人の魂を揺さぶる宝本があるとしたら・・・と教師が問うと
一斉に手を挙げて「羊です!」と次々に発言する生徒が教壇から見えてきそうな読了後だった。
『羊と鋼の森』宮下奈都著を五感で堪能しゆっくりと味わって読了した。
内容紹介
ゆるされている。世界と調和している。
それがどんなに素晴らしいことか。
言葉で伝えきれないなら、音で表せるようになればいい。
「才能があるから生きていくんじゃない。そんなもの、あったって、なくたって、生きていくんだ。あるのかないのかわからない、そんなものにふりまわされるのはごめんだ。もっと確かなものを、この手で探り当てていくしかない。(本文より)」
ピアノの調律に魅せられた一人の青年。
彼が調律師として、人として成長する姿を暖かく静謐な筆致で綴った、祝福に満ちた長編小説。
Amazon内容紹介より引用
進学就職お祝い本
本を閉じて、ひらめいた。キラリ☆
これはもしかして未来ある若者へ送る一冊のお祝い本か?
高校の体育館でピアノを調律する板鳥さんの音に出会った外村青年。
彼の人生は、そんな出会いによって道先案内されて進んでいく。
調律師となった彼が次に出会ったのは双子の姉妹の和音のピアノだった。
そこから、彼の調律師としての「なりたい姿」が見え始めてきた。
3人の調律師との出会いから、自らの行く道を見つけて行く、成長の物語である。
「人と会う」ことは人生において宝なんだと、ありふれた当たり前のような綺麗ごとを
これでもかっ!と、たをやかに締めくくっている。
文字から流れるメロディー
小説の醍醐味というのは、疑似体験を自由きままに可能とするところにある。
紙の上の文字が音を鳴らし、風を吹かせ森を駆け巡り、心を急がせる誰かの悪意や失意に追われ、自宅のリビングから森へとコンサート会場へと瞬間移動する。
残念な事に、時々そんな小説とは裏腹に、狙っていはいても説明書きもしくは作文程度の文章に出会うと、私のブログみたいだな~と、つまらなくなってしまうのだ。アハハ
ところが、この「羊・・・」は、文字が動き出し命を孕み、読者を旋律に乗せて深い森のマイナスイオンへと運んでくれるから心の洗濯にはもってこいな洗濯本に決定だ!
イマイチな本を読んで、くたびれたな~って思った時こそ、羊をおススメする。
本屋大賞的にはどの位置?
さて、もうすぐ本屋大賞発表だわ・・・
この『羊と鋼の森』は、10作品中のどのあたり?と毎年恒例の予想をしてみた。
あっ、『流』と『王とサーカス』といった後光がさす有力本を未読で控えているので正しい予想は出来ないので8作中でやってみよう~。
う~ん、難しいぞ。
なんてったって、本屋大賞は、書店員が読んで欲しい、売りたい作品なんだから・・・
Facebookの本が好き!倶楽部では、この羊を手元に置いておきたい!とすでに、宝本的祭りばやしが聞こえてる作品なんだが・・・
私の勝手な判定は・・・
堂々の4位で!
ごめんなさい・・・私、ちょっと洗濯本に色々とあれもこれもって注文つけたくって。
最初の疾走感が後半まで続かないといった、ペース配分の間違いみたいなものを感じてしまったのよ。
ネタバレになるかもだけど、和音のピアノが私まで届かなかったの。それが残念。
いまんとこ、中脇初枝さんの作品がイチオシかも。コッソリ・・・
バイエルって素敵なのね
ピアノを習っていた子ども時代を思い出し、この作中にあったバイエルをもう一度ひいてみたいな~って、そこばっかり。(笑)
それから、タイトルが秀逸だね!
読む前に、なんで「羊」?そして「鋼」?で、「森」なんだろうか?
そんな謎解きの楽しみを表紙に持ち、読了後には、そのタイトルでしか成立しないぞ!と唸らせる。
宮下奈都さん、初読みだったけど好きな作家入り決定~♪
積んでるこれも読まなくちゃ💦
『誰かが足りない』
出版差し止め裁判中の 『殉愛』百田尚樹著
『殉愛』裁判
2015年2月12日に図書館本で読了してる『殉愛』。
これ、問題作になっちゃいましたね。
やしきたかじんさんの長女が出版差し止めを求めた裁判が、3/2東京地裁で行われました。
百田のおっちゃん、口頭弁論でいつもの調子で喋りまくって「もう少しゆっくり話してください。」とか、「聞かれてないことは話さなくてもいい」と何回も言われたらしい。
しかし、おっちゃんは話しだしたら止まらない病気にかかってるので、止まらなかったとか。あはは
殉愛ってどんな作品なの?
醜いな・・・
これ、お金の匂いがプンプンしてる。
やしきたかじんさんが、彼自身が自伝として出版していたら何も問題なかったのかもしれない。
ある日のツイッターでおっちゃんは・・・
「たかじん氏の娘が出版差し止め請求の裁判を起こしてきた。裁判となれば、今まで言わなかったこと、本には敢えて書かなかったいろんな証拠を、すべて法廷に提出する。一番おぞましい人間は誰か、真実はどこにあるか、すべて明らかになる。世間はびっくりするぞ。」
おっちゃん、何がしたいのかな・・・ダメだわ。こんなん醜いだけだ。
眼を覚ませ!
私は、百田尚樹氏の作品の大ファンである。
おっちゃんの悪いとこも含めて嫌いになれないのは、出会った作品があまりにも自分の中で大切に浸透しみずみずしく今も生きているからだ。
ツイッターも本当に、ダメダメなつぶやきが人間臭くて見捨てられない。
ふと憎まれっ子世に憚るを地で行くおっちゃん。
闇の組織に抹殺されなければいいが・・・
結婚記念日
今日は3月2日はミニの日?
ミニの日って、なんだろうか?
勝手なミニの定義その1
通常の大ヒット商品をミニサイズで販売開始したり、女性にも食べやすい量をと「ミニ丼」なるメニューであったり、そういった元になるものをアレンジして無駄のない欲しいサイズをミニ化する。
はたまた、ミニには、可愛いといったイメージも含まれている。
(勝手な解釈でスンマセン)
そんな無駄のない欲しいサイズで可愛いミニの日が私たち夫婦の結婚記念日です。
手作りを喜ぶ夫
自慢していいですか?
私の夫は、どんなに不格好でも私が手作りしたものを絶賛して喜んでくれます。
そして、心のこもった物であればどんなにボロボロになろうとも、大切に使ってくれます。
料理でも、高級レストランの美味しい食事よりも、家族と囲んで私の手作りの料理を大口あけてあっつう間に平らげて無言でムシャムシャと一生懸命食べてくれます。
時々、「うんまっ!」と一言が腹の底から飛び出します。
そんな時は、なぜか私だけでなく娘達もとっても嬉しそうに夫を見ます。
食べる時は、口いっぱいにほおばって、無言で食べる姿が定着している夫の最高の褒め言葉だからでしょうか。
普段から喜怒哀楽をほぼ示さない夫は、常に平穏な顔して静かに過ごしています。
そんな悟りの境地に上り詰めたような仙人な風情の夫を喜ばせたくて、ブッセ風のケーキを作りました。
ブッセの生地はふんわりが鉄則
先日食べた地元の銘菓「一万石」のブッセがとても美味しかったので、ブッセ風なケーキを作ろうとクックパットで検索すると、いいのが見つかりましたよ~。
こちらのレシピのホイップクリームをアレンジして、友達が作ってくれた甘夏クリームを混ぜて作ってみました。
友達のレシピページ!
甘夏クリーム、めっちゃ美味しくてリッツとかに塗って食べるとほっぺた落ちます。
簡単なので自分でも作ってみなくちゃ♪
ブッセの材料を見ると、以前何度かチャレンジしたシフォンケーキと材料が良く似ています。そして、ふんわりさせるのも、卵をよくミキサーで混ぜるのがコツですね。
ふんわり、泡をつぶさないように・・・
お手伝い3歳児
いやですが・・・
私が料理をする時には、必ず3歳児の弟子がスタンバっています。
今回の泡立ての後の、粉類を下から上に泡をつぶさないようにホイップした卵たちと混ぜる工程で、弟子が腕まくりしてはりきって登場します。
泡をつぶさないように・・・
3歳児は、いかに粉を綺麗に混ぜてなめらかにするか!を目指し、グルグルと勢いよく混ぜ混ぜしました。
泡なんて、もう遥か彼方へ・・・
大事な工程を弟子に一任してしまったスポンジは、ごらんの通りでペチャンコです。
カスタードクリーム、甘夏クリームの生クリームと、杏子ジャムを間にはさみます。
なるべく、中心に盛り込むように!
そして、♡の紙を乗せて粉砂糖を振りかけます。
苺をスライスして飾ります。
完成~♪
ぐりとぐらのパンケーキは実家へ
ホットケーキミックスで「ぐりとぐら」のパンケーキを真似てフライパンでふっくらパンケーキを弱火でじっくり焼き上げました。
もう1品、ケーキの完成。
これは、夫の実家へお土産です。
ケーキ屋さんのソレとは全く勝負になりませんが、私の作ったケーキを楽しみにしてくれる夫や家族の顔を思い浮かべて「おいしくな~れ」と作ると、あら不思議!魔法がかかったかのようにケーキが輝いて見えます。
凸凹夫婦
私たち夫婦は、年齢も性格も凸凹なんです。
どちらかと言うと、私のような性格を受け止め支えてくれるのは夫でなくては無理なのかもしれません。
私は、「わがままな人」です。
夫は、「忍耐の人」です。
本当に申し訳ありませんが、これからも宜しくお願いします。
『カエルの楽園』百田尚樹著 読了
2016年2月23日発行の新刊
『カエルの楽園』が平安堂の入口に平積みされていた。
誰が書いた作品なのか知る前に、表紙のギュスターヴ・ドレの絵に心掴まれた。
ラ・フォンテーヌ寓話より「王さまを求める蛙」の挿画だ。
内容紹介
最大の悲劇は、良心的な愚かさによってもたらされる。
ベストセラー作家が全力で挑んだ、衝撃の問題作。
安住の地を求めて旅に出たアマガエルのソクラテスとロベルトは、豊かで平和な国「ナパージュ」に辿り着く。
そこでは心優しいツチガエルたちが、奇妙な戒律を守って暮らしていた。
だがある日、平穏な国を揺るがす大事件が起こる――。
著者自らが「私の最高傑作」と断言。
大衆社会の本質を衝いた、G・オーウェル以来の寓話的「警世の書」。
(本著内容紹介より引用)
G・オーウェルと言えば、「動物農場」などと比較してるのか?
これは、実に興味深い。
帯
表面のカバーを外すと、そこにも美しい装幀の技が施されていて「新潮社装幀室」のセンスの良さに溜息が出る。
百田尚樹の作品は、『ボックス』以外は読了しているほど次から次へと出せば読むを続けているヒイキの作家だが、ここ最近は、首を傾げる作品が多くて様子見な状態での新刊。表紙からして私の好み!しかも、題名のなんとなく寓話っぽくて素敵。
(カエル好きだから・・・)
ただ、気になったのは、それに対しての帯のドギツサ!
赤と黒で太字に「百田尚樹」とデ~ンと品の無いソレには、「これは、私の最高傑作だ!」とか「全国民に問う、衝撃の結末。」に「大衆社会の本質を衝いた、寓話的「警世の書」」などと見た目とっても下品でいただけない。
なんといっても、ギュスターヴ・ドレに失礼じゃないか。
とはいえ、おっちゃんの性格も踏まえて作品のファンの私は中身をチラチラと覗いてみた。すると、挿絵がなんとも可愛い。
これもドレ?と挿絵は誰だと確認すると
挿画 百田尚樹
なんですって?おっちゃん、絵も描くんだ。しかも、繊細なタッチで素敵だよ。
今年初の単行本購入を迷うことなく、この『カエルの楽園』に決めてしまったのは、ギュースターヴ・ドレと、今度こそは!と百田のおっちゃんの再起に期待をかけた願いからだった。
こんな話だったよ
主人公はアマガエルのソクラテス。生まれ育った国を追われ、安住の地を求めてたどり着いた平和の国は、ツチガエルの「ナパージュ」。そこには、三戒という平和のボルトのような存在の思想がある。
1「カルを信じろ」2「カルと争うな」3「争うための力をもつな」
その思想を唱え続ける権力者デイブレイクが君臨していた。三戒だけではなく、過去の過ちに対して「謝りソング」を歌っては自分たちは本当は恐ろしいカエルなんだ!だから、三戒で封じこめ、平和を持続している・・・
そんな、奇妙な哲学に陶酔しきっている恐ろしさ。
ナパージュも、ウシガエルに虎視眈々とロックオンされているのだが、三戒があるから攻めてこない、攻めてきても話し合いすれば大丈夫!と、三戒を盾に安心しきっている。しかし、本当の姿はスチーム・ボードという過去の戦で負けた相手に南を警備してもらっているという実態があった。
ツチガエルの中にもハンニバル兄弟といった屈強な戦士がおり、攻めてくるウシガエルを「この先は、踏み込むな。これ以上、こちらに来たら容赦しない」と、大きな体を大きく鼓舞して全力で阻止していた。しかし、三戒の元で平和に暮らしたいツチガエルたちは、ハンニバル兄弟もスチームボードも争いを引き起こそうとしている悪者として排除してしまう。すると、どうだろう?結末は無残にも・・・
そんな三戒に異議を唱えるものたちも現れる。プロメテウス。
ツチガエルにそっくりで、ナパージュに先祖代々暮らしているがエンエンの国のヌマガエルのピエール。ツチガエルに間違えられると激怒する、ナパージュよりエンエンの方が素晴らしい国だと言い「ナパージュのカエルは残酷なカエル」と憎みながらもナパージュで暮らす。
憎まれ嫌われ者のだらしない放言癖の激しい、反社会的なハンドレット。
ナパージュ・・・日本
ツチガエル・・・日本人
ウシガエル・・・中国
ヌマガエル・・・在日朝鮮人
スチームボード・・・米軍基地
ハンニバル兄弟・・・空陸海自衛隊
プロメテウス・・・安倍総理
ハンドレット・・・著者(百田)
三戒・・・9条だとか、集団的自衛権など
*私の勝手な予想で当てはめてみた。
寓話的「警世の書」なんかじゃないな。
これは、先に出版した新書の「大放言」の帯で「炎上覚悟。」と言いたい事を、文字に乗せて放出した百田氏が、これでもか!と、寓話仕立てであたかもG・オーウェル気取り、「かもめのジョナサン」風情に決め込んで素敵なドレの表装をまとって世に送り出したイニシャルトーク本に思えた。
おすすめ?
百田尚樹をヒイキしてる私は最も危惧している事が起きてしまった。
彼が表現の自由をはき違えて小説の世界を安易に土足で好き放題に寓話すらも蹴散らかしてしまったことだ。
百田のおっちゃん、「あんたら、俺がわかりやすくカエルに仕立てて教えてやるよ。日本て国は、こうなってんだぞ!」みたいな、底意地悪さが滲み出ているように感じてならなかった。私だけ?
歴史認識とか、確かに著者の言ってる事に同意する部分もあるんだけれど、こんなやり方は違うと思うんだ。(宮部みゆきさんの作品とか、遠回りさせながら想像させる余白が欲しい)
直接的でない間接的な情緒豊かな優れた言葉の旋律に乗せた「想像する余白」を残した小説で表現をすることは難しいのかもしれない。
「カエルの楽園」のような作品ならば、小説家でなくていい。
おっちゃんは、取材力が優れていて「風の中のマリア」のようなオオスズメバチの帝国を舞台にした壮大な世界で読者に蜂の気持ちがわかる魔法をかけた。「プリズム」では精神世界の崩壊による非現実的な世界に足を踏み入れさせ、「影法師」では、こんな男になりたい!と憧れ、「永遠の0」では、平和を強く願う気持ちを奮い立たせる素晴らしさ。本屋大賞を受賞した「海賊と呼ばれた男」では、古き辛い苦しい昭和の日本のリーダー論に懐かしさと薄れつつある義理人情に涙したり、「夢を売る男」では出版業界の暴露を目の当たりにするといった、多種多様な方面の衝撃と感動を私に与えてくれた。
「殉愛」あたりから、もうダメかもと、見放すつもりが「フォルトゥナの瞳」で、もしや?復活か?と期待をしてイマイチで、いきなり新書の「大放言」でストレス発散したんだな~、とまだ寛大に構えていた。
「カエルの楽園」が新書で出て、ドレの挿画を使ってなかったら、買わずに高額な単行本を図書館で借りていたら、私はここまで失望しなかったと思う。
ただ、読んで良かった。やり方は間違っているかもしれないが、おっちゃんが言いたい事は、もうわかっていたから、内容も結末もバレバレだけったけど、現在のおっちゃんの精神状態がココにあって、この先、以前のような小説はしばらくは書けないんじゃないかと見切りをつけるのに十分だった。
これは、 私の勝手気ままな読書感想文であって、何様?な文章も私が文才の無い素人だからである。ただ、こんな風に百田尚樹氏の作品を読んでいる人間もいる。
「大放言」では、図書館に新刊は1年は置かない英断を求めた百田尚樹氏。私は、なるほどごもっともだ!と、それからは彼の作品を購入して読むように心掛けている。だからこその辛口な感想文だったのかもしれないが、この作品に感銘を受けた方には気分を害してしまった事だろう。
作中の三戒を唱えるツチガエルのように、皆が同じ方向を向いてる不気味さが、作品に対する感想が自分と違っていた時の不快感や、表現に対する神経質なまでの感情のヒートアップといった不思議な現象が、ツチガエルにかなり似ているなぁと発見して驚いた。
ちなみに百田尚樹氏は「大放言」でネットでの呟きで叩かれた現象についても言及していたなぁ。やれやれ