なないろ日記 ~りんごの国から~ 

読書・折り紙・エコたわし作り・お絵かき・展覧会 あれもこれもと、七色にコロコロと襲い来る趣味との戦いの壮絶な記録!!

地震耳

熊本地震

熊本県を中心に、4/14(木)21時26分にマグニチュード6.5で最大震度7を観測した。

その28時間後の4/16(土)1時25分にはマグニチュード7.3で最大震度7の本震がやってきた。


14日の震度7が余震であるとの報道に目を見張る。余震で震度7・・・


熊本は火の国と呼ばれ、活火山の阿蘇山がある。
隣県である鹿児島には川内原発が静かに稼働を続けている。

 

被害が多くても気象庁の報道から消されているようにひっそりと世の中には知られていない、湯治場としても有名な観光地である大分県が心配だ。


大分県九重山は22日火山性地震を22回観測している。


そこに住む者のツイッターでは、ゴーーーーーとテレビの画面が割れるようなもの凄い地鳴りが続いているという。大分県、大丈夫だろうか・・・

龍の道

昔の人は磁気プラズマの現象を目のあたりにして、恐怖のあまりそれがあたかも龍神のように見えたのに違いない。


磁気は地殻の底からやってくる。

フォッサマグナ中央構造線に何があるか調べてみると、驚く事に龍の名がつけられた地名が多く存在していた。

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日本地震予知協会Webサイト ~雲にきこうよ~のページより

 

断層上には神社が並んでいる。
古代の人々は、天変地異を龍の仕業とし、神社を祀ることによって災いを鎮めようとしたのだろう。

ちなみに、今年は諏訪神社の7年ごとに寅と申の年に行われる式年造営御柱大社である。

フォッサマグマと中央構造線の接点が諏訪神社にぶつかる。

ちなみに、鹿島神宮には要石という石があって地震をおさえている石として有名だとか。今回、この石が踏ん張ってくれているのかもしれない。

古代の退化した器官

私が生まれた昭和の40年代というのは、コンビニエンスストアなどもなくテレビもブラウン管で本体をガチャチャと回してチャンネルを変えていた。
薪をくべて風呂を炊いた家も多く残っていた時代だった。

そんな時代に、野山を遊び場として暮らしていた者には、自然界の声を感じる古代からの器官が残っているような気がしてならない。
台風が来る前や、地震が起きる前には、頭痛がしたり、耳鳴りが起こったり・・・

雨の匂いがする!

そう呟いて帰路へ走った子ども時代。

今の子ども達は風の匂いを嗅ぎ分け、雲の動きで天気を読むことができるのだろうか・・・

便利になりすぎた現代で、人間の鋭く敏感な器官がすっかり退化している。

私はというと、昔の人間なのか退化するはずの器官が今本領発揮をして活発に私に信号を送り続けているようだ。

耳鳴りという信号

4/18(月)の1時頃、皆がまだ寝静まっていた夜にそれが聞こえてきた。

キーーーーーーンといった金属音と鋭い痛み。
音叉を頭蓋骨で鳴らされたような不快な音が数秒続いて目が覚めた。

それから、寝られない。頭痛と、耳鳴りで朝を迎える。

どうやら、年齢的に更年期なのか?と、メニエール病などをネットで検索し始めた私。

これは、もう仕方ないので気分転換に本屋へダッシュ!
しかし、耳鳴りで平衡感覚もおかしくて、活字も気持ちが悪い・・・


夜になって、耳に何かを突っ込まれている違和感でもう気分は下降を続ける。

4/18 20:30 突然の水のような鼻血が私をビビらせる。
まさか、脳内で出血?(えらく、大げさな私)

すると、緊急地震速報発令 20:42 熊本、大分で震度5強

なんとなく、地震による磁場の影響に思えた私はテレビを付けっぱなしでFacebookの友達にメッセージで体調不良の相談をしていた。

 

すると、23時に突然テレビの音が聞こえなくなった。
耳が聞こえない・・・

水を飲んで耳抜きをする・・・
あっ、右は聞こえる。

左がダメだ。

突然、ピタッと聞こえなくなった左耳。

翌朝、耳鼻科へ飛んでいき「突発性難聴」と診断され、ステロイドの点滴を始めた。

 

それからも、キーンと突然音がしたり、全体的に水の中にいるような私の耳。

最初の時こそ、平衡感覚が取れない気持ち悪さと音の煩わしさで寝込んだけれど、もうすっかり慣れたわ。(笑)

地震耳だ!

これって、地震耳ではないか?

 

いや、絶対に、地震耳に違いない。

銀歯あるし、私。

磁場から銀歯に伝達して私の耳が振動してるんだ。

地震が治まって頃に、きっと地震耳も鎮火してくれると・・・

 

世の中、ここ数日、地震耳で苦しんでる方いるのかな?

と、ちょっと、ぼやいてみた。

 

『生きるぼくら』原田マハ著 読了

東山魁夷「緑響く」が表紙とあらば・・・

文庫版の表装には東山魁夷の『緑響く』が清らかに迎えてくれる。

私の足を止めるには、それで十分だ。

ましてや著者が原田マハとくれば、舞台は長野県で、主人公は信濃美術館に勤めている。そして、東山魁夷の「緑響く」をめぐるミステリーだな?とキュレってるのを期待する。
まあまあ、落ち着け私!
キュレって無くても、構わないじゃないかっ。ドキドキ

 

やっぱり・・・

この『生きているぼくら』は、キュレってなんかいなかった。

なんと、いじめを受けひきこもる24歳の青年がドカンと作品の中心に座っていた。

ひきこもりを引っ張り出す物語

母子家庭で、思春期にいじめを受けひきこもりになった24歳の青年の名前は人生(じんせい)。

(これだけでもう、反マハ体制に突っ込まれそうで背後確認してしまう私)

まあまあ、そう最初っから真っ赤にならずに、名前なんてどってことないのよ・・・
(気になる人は、気になるだろうけど、私的にはマハ慣れしてるもんで気にしな~い)

しかも、この人生は、昼過ぎにお腹すいて目が覚めて、母親が用意したカップ麺とコンビニのおにぎりで空腹を満たして、ネットゲームに明け暮れ、他人のブログに中傷コメントを残して鬱憤を晴らす。脳みそグダグダに蕩けた頃に、寝る・・・

アルバイトを探すわけでもなければ、昼夜働く母親への敬意もへったくれもなく、何様?な暮らしに自分を追い詰めて死んだ魚の目をしている24歳。

 

う~~~~~ん!

 

私が母親ならば、自分のほうこそグレて息子を困らせてやるんだが。
母ちゃん、健気というか馬鹿というか・・・

そんな、母ちゃんだけど、やっとこ腰を上げて一通の手紙を残して家を出てしまう。
現金五万円と少しばかりの年賀状。そしていわくつきの梅干しのおにぎり。

 

年賀状は、誰かを頼れって事なんだけど、そこに「余命数ヶ月」と毛筆で書かれた祖母マーサからの1枚を発見する。

住所は奥蓼科・・・長野県茅野市にある奥蓼科である。

奥蓼科と東山魁夷

おっと!ようやく、表紙の「緑響く」が繋がってくるぞ~。とルンルンと鼻歌♪
だって、この絵は奥蓼科の「御射鹿池」(みしゃかいけ)という灌漑用水湖を描いているのだから。(鹿狩りをした名残の地名らしい)

人生は都会を出て、マーサおばあちゃんの住む田舎を訪ね、自分のこれからを探す旅へと動き出す。
茅野駅に到着し、腹がすいて立ち寄った「めし屋」で出会ったのは人情味溢れるカッコいい大人の志乃さん。
彼女の車で奥蓼科のマーサおばあちゃんの家まで辿り着くことが出来た。

もう、誰かによって自分は生かされている。その始まりのような志乃さんとの出会いの場面ではお醤油と出汁の香りがぷ~んと空腹に染み渡る。

変わった米作り

人生は、蓼科のマーサおばあちゃんともう一人の孫娘である対人恐怖症の「つぼみ」(再婚した父の相手の連れ子)と出会い、一緒に米作りを始める。

米作りといっても、自然の米作りであり、機械や農薬を使わない。
水も張らない。まるで野原で米作りである。

皆には、呆れられるようなマーサおばあさんの米作りだが、物語をリードするのはこの「自然の米作り」なのだ。

 

稲と一緒に伸びる強い草、秋に枯れてしまい堆肥となる草、雑草とは呼ばないそれらと向かい合い、地中に住む虫の命さえも尊ぶ。
手間を十分にかけて育てる過程こそが「生きるぼくら」なのだ。

ぼくらはみんな生きている 

この歌が頭に流れ出して止まらなくなる。

カエルだって、おけらだって、あめんぼだって、みんなみんな生きているんだ友達なんだ~。

 

ひきこもりだって、対人恐怖症だって、認知症だって、就職脱落者だって・・・

 

そんな人間たちが、ともに一緒に育てた自然の米。うまいに決まってる。
もったいなくて、もったいなくて食べれる気がしない。
自分が、その苦労を共に味わっていなければ・・・

 

「1粒の米には、7人の神様が住んでいるのよ。」

 

マーサおばあちゃんの言葉がそこかしこで木霊する。

米作りの本ではないが・・・

途中、米作りがしたくなる。
しかし、米作りなどしなくても、作品を読み終わる頃には自分の中の「生きる」糧となる対象への愛情が湧き上がってくる。

夕食に並んだ料理、「ただいま」と帰宅する夫、そして、隣で鼻をほじって宿題をしている娘。
時には、暗闇の中で脅える自分がいて、そこから這い出すには容易な事でない。

世間では、ひきこもりは親も子もしっかりしろ!という突き刺さる視線が向けられ、一層外へ出る勇気なんて出て来やしない。
そんな時には、自然の中で戻ってみたらいいんだ。
田舎のうざったいくらい人情味溢れる人間関係に、足を突っ込んでみるといい。


そんな事すら現実的でない者は、この作品を読めばいい。


「生きるぼくら」

 

きっと、元気が出て、周りが色鮮やかに見えてくるかもしれないから。

 

『永遠をさがしに』原田マハ著 読了

久しぶりにマハってみた

『永遠をさがして』の文庫本バージョンの表紙の木彫り、素敵だね。

さて、気を落ち着けて・・・
原田マハさんと言えば『楽園のカンヴァス』を書いた作家として有名。

 キュレーターとして経験を生かした美術関連の小説を得意としている。
だもんで、時々ふと思う・・・
「キュレってるだけでいいんじゃね?」
なぜならば、「なしマハ」といった作品が多く、安定していないのだ。
さすがに本を閉じて「ペッ!」と舌打ちして「キュレってろ!」と怒鳴り散らしたりはしないが・・・してる人もいるらしい。

あらすじ

世界的な指揮者の父が海外赴任となり、ひとり日本に残った女子高生の和音(わおん)。


そこへ突然新しい母がやってきた。型破りの彼女には秘めた過去があり。

 

母と娘、音楽。女性たちの再生物語。

Amazon内容紹介より引用

 

キュレって無い・・・

はい、美術作品は出てこない・・・
キュレって無いってことは、慎重にならざるを得ないのだが、出だしの一文を読んで確信した。

 

 「小鳥が、逃げた。」

 

これは、大丈夫なマハだ。   と。(偉そうでごめんなさい)


音楽の世界に足を突っ込んだマハ作品。初か?
世界的な指揮者の父の子の名前が和音(わおん)だからといって、文庫本をちゃぶ台に叩き付けるのはちょっと待てだ!

だって、それ、ちょっと作品的に美味しいポイントなんだから。(笑)
当の本人だって、自分の名前が安直過ぎて父親に向かって物申している。
超恥ずかしいとかって!

しかも、「なんで「のだめ」とかにしてくれなかったのかな、、もう~っ」とまで言ってる💦

チェロやマエストロといったクラッシックに明るくない私には興味のない環境の物語だけれど、そんな小道具を使っているくせにみるみる音楽の世界へと誘われてしまう。

 

あれ?これって?どっかで・・・

2016年度 本屋大賞1位『羊と鋼の森』に似てる

今話題沸騰中の本屋大賞1位を受賞した『羊と鋼の森』宮下奈都著にどこか似ている。

 あっ、本屋大賞おめでとうございます。

私、4位だなんて予想しちゃったけど、本当馬鹿でした。
本屋大賞も捨てたもんじゃないわ。

この作品なら使ってない脳の文字を映像に変換するどっかを刺激すること間違いなしだわ!

羊と鋼の森

羊と鋼の森

 

 

でも・・・

もしかして、宮下さん、この『永遠をさがしに』の影響バッチ受けてたりする?

と、チラッとよぎるほど、ちょっと雰囲気が似ていた。

でも、やっぱマハさんの文章は読みやすい時と、そうでない時がある。これは表現力が素晴らしかった。


「羊・・・」でも、ピアノの調律の世界を文字に乗せて読者の想像力を掻き立て五感を刺激して読み終わりたくない、手元に置いて何度も読み返し、その世界に再び足を踏み入れたいと思わせるオーラをまとっていた。

そして、『永遠を・・・』の解説がなんと宮下奈都さんだった。


もう、絶対この作品をリスペクトしただろ?と、イッシッシとあれこれ想像しちゃったわ。あの書き方は、こっちのここよ!みたいにね。

でもまあ『永遠を・・・』は、そんな五感な点では「羊」よりは少し劣るかもしれない。
しかし、天才マエストロの娘、和音と突然現れた継母の真弓との真っすぐで熱い体当たりな関係が実に心地よい。

あの西加奈子『漁港の肉子ちゃん』を彷彿させ、ニシカナ風のユーモアよりも上品で少し気取った感じのソレが、マハ流だな~納得の花丸だ。

 

漁港の肉子ちゃん (幻冬舎文庫)

漁港の肉子ちゃん (幻冬舎文庫)

 

 


真弓と和音の掛け合いがどうもしっくり来るのは、しょっぱなから真弓の人間性に惚れてしまったからかもしれない・・・

手にしたものを失う時

才能というのは、努力してもどうしたって駄目なもんがある。
音楽家は、小さな頃からの環境と指導力によって才能が伸びるらしい。
しかし、幼少時に自分の意志ではなく「させられていた」ものを、手放す時がやってくる。これは自分の意志なのだろうか?と、悩む時が「壁」なのかもしれない。

 

ピアノ教室に3歳から通っていた私は、どうやって教室をサボるか毎回頭を悩ませていた。結局、やめてしまったが後悔などしていない。(笑)

 

しかし、生まれ持って才能がある人間は違う。

 

再び、自ら何かの「きっかけ」と出会い育んだ才能を伸ばして「自分の意志」で音楽を奏でる時が来る。

 

Amazonの書評が酷すぎる

この作品って、Amazonでかなりこき下ろされてるって噂だったから覗いてきた。

安っぽい韓流ドラマみたいだ!とそりゃ、気持ちよく言いたい放題だった。
こんなスパッと切ってかかっているレビューは嫌いじゃない。

でも、残念だが、この作品はキュレって無いマハさんの新境地を見た!と言ってもいいよ。

自分が母となって、自分の母を思い出し、娘の立場に思いを馳せ、あの日、夢中になってステッドラーの鉛筆を握ってデッサンしていた学生時代にタイムスリップした。

★5つ!自信を持って♪

 

 

『田園発 港行き自転車』上・下 宮本輝著 読了

『縁』の物語

私は、学生時代に長野県から東京へ上京した。
当時は、新幹線ではなく特急「あさま」碓氷峠を越える時には横川で補助機関車を連結していた。
もうすぐ軽井沢だ・・・
すると、一気に車内に冷気が吹き込み窓の外には浅間山のすそ野が広がって見えた。


そんな時は決まって、涙が込み上げてくる・・・なぜだろう?

 私は、そんな故郷への思いを浅間山で推し量っていたのだが、それを「地縁」と呼ぶのか?

『田園発 港行自転車』の舞台は、富山県下新川郡入善町黒部川から物語が動き出している。

 故郷の土地の縁・血のつながりの血の縁・仕事で出会った人々との仕事の縁

 

「仕事で知り合った人の奥さんが親戚だった。東京で、ふるさとの同じ友人と出会った。そしたら共通の友人がいて驚いた。」

奇跡と呼ぶには、あまりに日常的で、それでも出会えた事は本当は奇跡なんじゃないか?とふと思うことって無いだろうか?

他人だと思って見過ごしていた縁が、突然繋がり始め動き出した心温まる物語。

あらすじ

富山県の滑川駅の前に残された一台の自転車。「秘密」を残したまま自転車メーカーの社長である「父」は急死してしまった。15年後、絵本作家となった「娘」は意外な出会いをきっかけに、父が残したものを辿ることになる。そこには、出会うことのなかった人々との奇跡なような命のつながりがあった。


「ぼくのことをすきになってくださいね」


五歳の男の子から絵本作家に届いた一通のファンレター。
時を超えて、そこの思いが輝きを放ち始める。

美しく豊かな富山の地を舞台に人々の絆を描き出す。

富山・京都・東京、三都市の家族の運命が交錯する物語

 

書き出しにやられた!

宮本輝さんと言えば『錦繍』の書き出しが印象的な作家だ。

「前略 蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて、本当に想像すらできないことでした。」

川端康成の『雪国』の書き出しより、私は『錦繍』の濁音で韻を踏んでる書簡形式の一文がとても魅力的で好きだ。

 

『田園発 港行き自転車』の書き出しも、どうしたって期待してしまう。輝りん♪どう来る?って。

 

今回もやられた・・・

 

私は自分のふるさとが好きだ。ふるさとは私の誇りだ。何の取り柄もない二十歳の女の私が自慢できることといえば、あんなに美しいふるさとで生まれ育ったということだけなのだ。

 

東京に出て働いていたが、どうにもこうにも水が合わないのか元気が吸い取られて本来の自分を失ってしまった脇田千春は、東京を後にして故郷へ帰る決心をしたのだ。

3ページあまりを使った書き出しは、少し喋っては考え込み、次に続く言葉を訥々と口にし、また語り続けるといった送別会の礼を述べる挨拶が書かれていた。

 

ここから一気に物語へ突入し、数多くの主役級の登場人物に出会いながら富山の自然を満喫し本の中で知り得た人々の縁を結びながら読み進めていく。

 

富山、行ったかも

輝りんは、私をすっかり富山の入善や愛本橋へと連れてってくれた。こんなにも、風景描写が脳裏に浮かび上がるのは何故だろう?

そして、読み終わってから、実際に富山に足を運びたい衝動が止まらなくなる。
輝りん読みの猛者たちは、きっと小説を訪ねる旅に出ているに違いない。

ゴッホの「星月夜」

作中にはゴッホの「星月夜」が頻繁に登場する。その絵を私は一度だけ見ていた。

[フリー絵画素材] フィンセント・ファン・ゴッホ - 星月夜 (1889) ID:201304111700

どうにも、ぐるぐると目が回る晩年の厚塗りの作品には、富山の美しい風景と人々の心の闇のような深いテーマが転がっているように思えてならなかった。

 

ラフマニノフ

父からのプレゼントの万年筆を自分仕様に作り上げる道具に柔らかい砥石が登場する。
そこには、「ラフマニノフ」という文字を書く。その文字だけを書いて仕上げていく。

文具好き、ラフマニノフ好きな私には、その両方を兼ね備えたお題が転がっていてびっくりこいた!

今後、ボールペンやシャーペンの試し書き(万年筆ではないのか?)では「ラフマニノフ」と書くと強く心に誓った。

自転車

自転車と表題にあるように、作中には自転車に関連する人々や自転車そのものが登場する。自転車が好きな人には、「おお!」と唸るような自転車が登場するのであろうが、私はママチャリ専門で、しかも大人になってからはほとんど乗らないので「おお!」は「ふ~ん」な程度であった。
けれども、二人乗り自転車の後ろに乗って、前で濃いでくれる人に全てを任せて楽をしよう!と黒い気持ちが芽生えたのは内緒だ。

輝りんは、きっとサイクリングをしながら、自然豊かな土地を巡るのが好きなんだろう。まるで自分が自転車に乗っているような疑似体験をして、太ももがパンパンになったのは、輝りんの文才があってのことだと感心した。

 

終わり方

上下巻と長編のこの作品の終わり方は、きっと賛否両論あるのだろうと予想する。
こんなに長いこと読んで、最後に胸を締め付けられるような悲しみがそこにあったとしたら・・・それは、ちょっと嫌だよ。


ところが、この作品は、そうじゃない!登場する人が皆そろって優しい。

 

想像の余白をぼんやりではなく、くっきりと残して物語の「縁」が動き出したまま終焉している。

 

ありがとう!この先は、自分が物語を作ってみよう。そう顔を上げて本を閉じた。

友人から借りた本

輝りんを本読み達に布教している友人から借りた本だったが、文庫化したら購入したい。何度か読んで、酔いしれたい。この友人に出会わなければ、私がこれほどまでに好みの作家に出会えたかどうか・・・
これもまた「縁」なんだと、輝りんが笑ってうなずいていそうだ。

貸してくれた友人は、2円切手10枚を栞にしていたらしい・・・
栞、返さなければ・・・(笑)

 

『羊と鋼の森』宮下奈都著 読了

本屋大賞ノミネート8作目

手にした人の魂を揺さぶる宝本があるとしたら・・・と教師が問うと

一斉に手を挙げて「羊です!」と次々に発言する生徒が教壇から見えてきそうな読了後だった。

『羊と鋼の森』宮下奈都著を五感で堪能しゆっくりと味わって読了した。


内容紹介

ゆるされている。世界と調和している。
それがどんなに素晴らしいことか。
言葉で伝えきれないなら、音で表せるようになればいい。

「才能があるから生きていくんじゃない。そんなもの、あったって、なくたって、生きていくんだ。あるのかないのかわからない、そんなものにふりまわされるのはごめんだ。もっと確かなものを、この手で探り当てていくしかない。(本文より)」

ピアノの調律に魅せられた一人の青年。
彼が調律師として、人として成長する姿を暖かく静謐な筆致で綴った、祝福に満ちた長編小説。
Amazon内容紹介より引用

進学就職お祝い本

本を閉じて、ひらめいた。キラリ☆

これはもしかして未来ある若者へ送る一冊のお祝い本か?

 

高校の体育館でピアノを調律する板鳥さんの音に出会った外村青年。
彼の人生は、そんな出会いによって道先案内されて進んでいく。
調律師となった彼が次に出会ったのは双子の姉妹の和音のピアノだった。
そこから、彼の調律師としての「なりたい姿」が見え始めてきた。
3人の調律師との出会いから、自らの行く道を見つけて行く、成長の物語である。

 

「人と会う」ことは人生において宝なんだと、ありふれた当たり前のような綺麗ごとを
これでもかっ!と、たをやかに締めくくっている。

文字から流れるメロディー

小説の醍醐味というのは、疑似体験を自由きままに可能とするところにある。

紙の上の文字が音を鳴らし、風を吹かせ森を駆け巡り、心を急がせる誰かの悪意や失意に追われ、自宅のリビングから森へとコンサート会場へと瞬間移動する。

残念な事に、時々そんな小説とは裏腹に、狙っていはいても説明書きもしくは作文程度の文章に出会うと、私のブログみたいだな~と、つまらなくなってしまうのだ。アハハ

ところが、この「羊・・・」は、文字が動き出し命を孕み、読者を旋律に乗せて深い森のマイナスイオンへと運んでくれるから心の洗濯にはもってこいな洗濯本に決定だ!
イマイチな本を読んで、くたびれたな~って思った時こそ、をおススメする。

本屋大賞的にはどの位置?

さて、もうすぐ本屋大賞発表だわ・・・
この『羊と鋼の森』は、10作品中のどのあたり?と毎年恒例の予想をしてみた。

 

あっ、『流』『王とサーカス』といった後光がさす有力本を未読で控えているので正しい予想は出来ないので8作中でやってみよう~。

 

う~ん、難しいぞ。

なんてったって、本屋大賞は、書店員が読んで欲しい、売りたい作品なんだから・・・

Facebook本が好き!倶楽部では、このを手元に置いておきたい!とすでに、宝本的祭りばやしが聞こえてる作品なんだが・・・

私の勝手な判定は・・・
堂々の4位で!

ごめんなさい・・・私、ちょっと洗濯本に色々とあれもこれもって注文つけたくって。

最初の疾走感が後半まで続かないといった、ペース配分の間違いみたいなものを感じてしまったのよ。
ネタバレになるかもだけど、和音のピアノが私まで届かなかったの。それが残念。

 

いまんとこ、中脇初枝さんの作品がイチオシかも。コッソリ・・・

 

バイエルって素敵なのね

ピアノを習っていた子ども時代を思い出し、この作中にあったバイエルをもう一度ひいてみたいな~って、そこばっかり。(笑)
それから、タイトルが秀逸だね!

読む前に、なんで「羊」?そして「鋼」?で、「森」なんだろうか?

そんな謎解きの楽しみを表紙に持ち、読了後には、そのタイトルでしか成立しないぞ!と唸らせる。

宮下奈都さん、初読みだったけど好きな作家入り決定~♪

積んでるこれも読まなくちゃ💦

『誰かが足りない』

 

出版差し止め裁判中の 『殉愛』百田尚樹著 

『殉愛』裁判

2015年2月12日に図書館本で読了してる『殉愛』。
これ、問題作になっちゃいましたね。
やしきたかじんさんの長女が出版差し止めを求めた裁判が、3/2東京地裁で行われました。
百田のおっちゃん、口頭弁論でいつもの調子で喋りまくって「もう少しゆっくり話してください。」とか、「聞かれてないことは話さなくてもいい」と何回も言われたらしい。
しかし、おっちゃんは話しだしたら止まらない病気にかかってるので、止まらなかったとか。あはは

殉愛ってどんな作品なの?

今は亡き、やしきたかじんさんと妻のさくらさんの出会いから別れまでを赤裸々に綴った作品。
百田のおっちゃんは、たかじんさんと別段交友が深かった訳ではなく、テレビに出演して鋭い意見をズバズバ発する百田尚樹に、たかじんさんが惚れ込んだようで、自分の事を彼に本に書いて欲しいとメモを残して逝ってしまった。
 
『殉愛』が発売された頃に、妻のさくらさんのあらぬ噂が週刊誌の表紙にデカデカと書いてあり、熟読するほど興味は無かったが、何やら見え隠れする背景があまりに胡散臭くて『殉愛』に対する読みたい熱が一気に下がってしまった。
 
あるキッカケで、そんな事をすっかり忘れて図書館で借りてきてしまい読み始めると、百田のおっちゃんの読ませるテクニックのせいか、つい引き込まれていく。
 
たかじんさんが亡くなった時は64歳で、さくらさんが32歳。
 
出会いはインターネットのさくらさんのブログサイト。
いきなり会いたいとさくらさんをクリスマスパーティーに呼びつけ、美女をはべらし仲間と盛大に盛り上がるたかじん
 
出会ってすぐにプロポーズ。しかし、複数の浮気は継続。
金にものを言わせ周りを動かす。
しかし、体に異変が!
ガン発病だ。
さくらさんの出会いとほぼ同時に発病から闘病生活に入り、彼を看取る。
 
たかじんの運転手で自称マネージャーのKという人間の裏切り行為や、元妻との娘との確執など、百田のおっちゃんは完全にさくらさんサイドに立って書いている。
 
書かれている事が本当だと信じながら読んでいても、たかじんは世に名を残す異彩な男であり、沢山の女性を自由にしていたにもかかわらず本当の愛には飢えていたのだと伝わり、さくらさんが不憫でならないし、もしかして偽善愛?と頭を捻る場面も多々ある。
 
さくらさんが左耳の聴力を失う場面では、そばにいて欲しいが為に耳鼻科に緊急入院して治療するチャンスをたかじんは奪う。
 
俺がさくらの耳になる
 
出来もしない約束で、寂しくて不安に苛まれた幼稚な男のただの我儘であった。
 
私は、やしきたかじんの番組が好きだったので亡くなった時はショックだった。
 
しかし、この作品で、赤裸々までにたかじんの内面を曝け出し、私の様に一気に冷めてしまった女性もいるのではないか?と危惧している。
 
珍しく百田のおっちゃん作品で全く心に響かなかった。

醜いな・・・

これ、お金の匂いがプンプンしてる。
やしきたかじんさんが、彼自身が自伝として出版していたら何も問題なかったのかもしれない。

ある日のツイッターでおっちゃんは・・・

たかじん氏の娘が出版差し止め請求の裁判を起こしてきた。裁判となれば、今まで言わなかったこと、本には敢えて書かなかったいろんな証拠を、すべて法廷に提出する。一番おぞましい人間は誰か、真実はどこにあるか、すべて明らかになる。世間はびっくりするぞ。」

 

おっちゃん、何がしたいのかな・・・ダメだわ。こんなん醜いだけだ。
眼を覚ませ!

 

私は、百田尚樹氏の作品の大ファンである。
おっちゃんの悪いとこも含めて嫌いになれないのは、出会った作品があまりにも自分の中で大切に浸透しみずみずしく今も生きているからだ。

ツイッターも本当に、ダメダメなつぶやきが人間臭くて見捨てられない。
ふと憎まれっ子世に憚るを地で行くおっちゃん。

闇の組織に抹殺されなければいいが・・・

結婚記念日

今日は3月2日はミニの日?

ミニの日って、なんだろうか?
勝手なミニの定義その1

通常の大ヒット商品をミニサイズで販売開始したり、女性にも食べやすい量をと「ミニ丼」なるメニューであったり、そういった元になるものをアレンジして無駄のない欲しいサイズをミニ化する。
はたまた、ミニには、可愛いといったイメージも含まれている。
(勝手な解釈でスンマセン)

 

そんな無駄のない欲しいサイズで可愛いミニの日が私たち夫婦の結婚記念日です。

手作りを喜ぶ夫

自慢していいですか?

私の夫は、どんなに不格好でも私が手作りしたものを絶賛して喜んでくれます。
そして、心のこもった物であればどんなにボロボロになろうとも、大切に使ってくれます。
料理でも、高級レストランの美味しい食事よりも、家族と囲んで私の手作りの料理を大口あけてあっつう間に平らげて無言でムシャムシャと一生懸命食べてくれます。
時々、「うんまっ!」と一言が腹の底から飛び出します。
そんな時は、なぜか私だけでなく娘達もとっても嬉しそうに夫を見ます。

食べる時は、口いっぱいにほおばって、無言で食べる姿が定着している夫の最高の褒め言葉だからでしょうか。


普段から喜怒哀楽をほぼ示さない夫は、常に平穏な顔して静かに過ごしています。
そんな悟りの境地に上り詰めたような仙人な風情の夫を喜ばせたくて、ブッセ風のケーキを作りました。

ブッセの生地はふんわりが鉄則

先日食べた地元の銘菓「一万石」のブッセがとても美味しかったので、ブッセ風なケーキを作ろうとクックパットで検索すると、いいのが見つかりましたよ~。

cookpad.com

こちらのレシピのホイップクリームをアレンジして、友達が作ってくれた甘夏クリームを混ぜて作ってみました。

koreii.jp

友達のレシピページ!
甘夏クリーム、めっちゃ美味しくてリッツとかに塗って食べるとほっぺた落ちます。
簡単なので自分でも作ってみなくちゃ♪

ブッセの材料を見ると、以前何度かチャレンジしたシフォンケーキと材料が良く似ています。そして、ふんわりさせるのも、卵をよくミキサーで混ぜるのがコツですね。
ふんわり、泡をつぶさないように・・・

お手伝い3歳児

いやですが・・・
私が料理をする時には、必ず3歳児の弟子がスタンバっています。
今回の泡立ての後の、粉類を下から上に泡をつぶさないようにホイップした卵たちと混ぜる工程で、弟子が腕まくりしてはりきって登場します。

 

泡をつぶさないように・・・

 

3歳児は、いかに粉を綺麗に混ぜてなめらかにするか!を目指し、グルグルと勢いよく混ぜ混ぜしました。

 

泡なんて、もう遥か彼方へ・・・

大事な工程を弟子に一任してしまったスポンジは、ごらんの通りでペチャンコです。

 

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カスタードクリーム、甘夏クリームの生クリームと、杏子ジャムを間にはさみます。

なるべく、中心に盛り込むように!

そして、♡の紙を乗せて粉砂糖を振りかけます。
苺をスライスして飾ります。

完成~♪

ぐりとぐらのパンケーキは実家へ

ホットケーキミックスぐりとぐらのパンケーキを真似てフライパンでふっくらパンケーキを弱火でじっくり焼き上げました。

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もう1品、ケーキの完成。

これは、夫の実家へお土産です。


ケーキ屋さんのソレとは全く勝負になりませんが、私の作ったケーキを楽しみにしてくれる夫や家族の顔を思い浮かべて「おいしくな~れ」と作ると、あら不思議!魔法がかかったかのようにケーキが輝いて見えます。

凸凹夫婦

私たち夫婦は、年齢も性格も凸凹なんです。
どちらかと言うと、私のような性格を受け止め支えてくれるのは夫でなくては無理なのかもしれません。


私は、「わがままな人」です。

夫は、「忍耐の人」です。

本当に申し訳ありませんが、これからも宜しくお願いします。