なないろ日記 ~りんごの国から~ 

読書・折り紙・エコたわし作り・お絵かき・展覧会 あれもこれもと、七色にコロコロと襲い来る趣味との戦いの壮絶な記録!!

『レインツリーの国』有川浩著 読了

あの頃読んだ本は今・・・

『レインツリーの国』有川浩

 

物語は、高校時代に読んだライトノベルSFアクション『フェアリーテール』はその結末が悲しくて、作者の拒否されたようにも思え、大好きだったのに二度と読み返せない本になってしまっていた。

ところが社会人になって10年後に読み返した時、「あの物語のラストはあれしかなかった」と思った・・・

 

こんな経験、私にもあります。
私の場合は村上春樹の「ノルウェイの森」です。

 結末というか、主人公にどうしても近寄れなくて、むしろこんな奴いたらグーでパンチだ!って思って、現れるの待っていたぐらい「ケッ!」と唾を吐いてしまいました。

それが、大人になりすぎた40代に読み返したら、トクトクトクッと五臓六腑に染み渡り握った拳を引っ込めて、流れてもいないビートルズのナンバーに足がリズムを刻むほどでした。

 

『レインツリーの国』の書き出しは、入社三年目の向坂伸行が初ボーナスで買って三年目の付き合いになるノートパソコンで、ラストがトラウマになっていた物語のタイトルを検索した場面からスタートする。

 

『フェアリーテール』・・・

架空の物語だとしても、伸行のトラウマを知って凄く読みたくなった。
モデルになったラノベってあるのかな?

 

で、ネットサーフィンしていると、そういう時ってあるんだけど、そんなひょんな拍子から辿りついた検索結果の本の感想に伸行は前のめりで夢中になっていく。

 

「レインツリーの国」というブログサイトに書かれていた言葉が、とても丁寧で文章の端々から真摯な物の考え方が伝わってくる。そんなサイト管理者ひとみの人物像に、伸行は一瞬で心を奪われてしまった。

 

そこから、メールの交換がはじまる・・・

SNSでの出会い

2006年の作品では、すでにSNSが出会いの道具として有川マジックは直球を飛ばしている。

顔が見えないから、言葉を丁寧に伝えるのがいかに大事かが良くわかる。
私はこの主人公のように、これほどに丁寧に文章を入力しているだろうか?彼女が、言葉をしっかりと飛ばすことなく、わかりやすく真摯に書いているのには理由があった。

あえてネタバレはやめとく

ネタバレしちゃうと、読み始めの最初に伸の立場で彼女を感じる事ができなくなるので、是非作品を手に取って感じてほしい。

私は、P98にさしかかった時に、こみあげる涙をこらえる事がどうしてもできなかった。

平日の金曜日、何か悩みがあるわけでもなく、外は夏日のように暑い五月の昼下がりに主婦が目頭を押さえて泣きむせぶ。

有川さん、キュンキュン男子を描かせたら私ん中ではナンバー1です!!!

でも、途中から伸がうざったくもなってくる。

それって、彼女に自分が憑依してしまったのかも?そこまで、この作品は、読者を作品の中へ連行してどっぷりと主人公のどちらかへ意識を飛ばせて心をぐらぐら鷲掴みにしてしまうようだ。

 

この作品を読んだ後、私はもっと人に注意深く、そして寛容になりたいとそう思った。

『蛇の道行』加藤元著 読了

あらすじ

『蛇の道行』加藤元

 

なにがあっても、離れない。家族は失った。けれど、隣にはお前がいる。昭和24年、上野。戦争未亡人ばかりを集めたバー・山猫軒で、二人はひっそりと暮ら していた。バーを切り盛りする青柳きわと、住み込みで働く立平だ。生き抜くため、絡み合う蛇のように彼らは時代を駆け抜けた。戦後復興期を舞台に、親のな い少年と若き未亡人の名付け得ぬ関係を描いた加藤元の新たなる傑作!

Amazonより引用

 

加藤元さん、初読み!
図書館の新刊コーナーで光を放っていたのは、日本画家の片岡球子の「三国峠の富士」のリトグラフを表紙に持つ『蛇の道行』だった。

で、作者はというと
加藤元・・・知らないな~。おっちゃんだろう?
と、後ろのプロフィールを見たら1973年神奈川県生まれ。

私より年下だ・・・💦

 

しかも・・・だったよ!

 

そんな世代が描く戦後の日本には何が待っているのか?

かなり調べものが得意な作家とみた。

とりあえず目次が漢字二文字(第一章は殺生)で見るからに明るい作品ではなさそうだった。

 

あなた誰?

あらすじにもあるように、きわと立平の二人がまず物語の本筋をリードしてるとして、その他にも多くの出演者が我よ!我よ!と浮いてくる。
途中で、「えっと、あなたは誰だったけ?」と混乱する女性陣の名前。

きわ・さわ・とわ・サエ・トモ代・花枝・・・

そして、誰もがある意味かなり荒んでいる。
善人ってどんな時代にもいるんじゃないの?ってのは勘違いだと思わされたし、そもそも「善人」なる勝手な私の中の定義がぐらぐらと崩壊していく様が滑稽に流れていた。

檻の中の虎

誰の中にも檻に閉じ込めた「虎」がいる。

その「虎」を解き放った瞬間、虎は飼い主を食い殺す・・・

戦後、生きる為に自分の事で必死な日本人には、他人を陥れたり騙したり盗んだりすることなど、なんともないのだ。
目を伏せたくても逃れる事の出来ない、殺戮な風景を日常的に見せられた者は何としてでも生きるしかなかったのかもしれない。

「悪」って何だろう?

とにかくトモ代っていう女性が酷く「悪」なのだ。犯罪すれすれというか、見つからなきゃいいわ!程度な嫌らしい部分から、真面目に生きている他人をジリジリと追い詰めて陥れた挙句に食い物にしていく。共感なんてできないけど、目が離せなくなる。

 

そんな女性、周りにそうは居ない。

今が平成の平和な世の中だからだ。


例えば犯罪者の多くは、他人の弱みにつけこんだり弱い者をターゲットにし「悪」をにじませて法廷では誰からも共感されず同情もされない。けれど、そんな犯罪者の根底にある醜さの黒いものに人々は何かしら興味を持ってかれてしまうのも真実かもしれない。

この作品は、そんな「悪」に焦点を当てたミステリーであり、同時に「正義」についても頭を混乱させてグラグラにかき回しゲロってしまいそうになる胃袋鈍痛な作品だった。

『異邦人(いりびと)』原田マハ著 読了

『異邦人』と書いて「入り人」と読ませる

この作品を手にした時、重厚な表紙と題名で、日本版カミュ『異邦人』か?

と、カミュの代表作を思い出してしまった。(読んでないけど・・・)

カミュの作品は『異邦人』をまんま「いほうじん」と読ませるのに対して、マハさんは、「いりびと」と読ませている違和感にぶち当たる。

 

物語の舞台となる京都では元からそこに住む「地の人」に対し、他所から来た人を「入り人」と呼ぶらしい。そんな京都の人々の少し閉鎖的な地域性を作品の『異邦人』へと重ねたのではないだろうか?

 

あらすじ

主人公の菜穂は、夫の篁一樹が老舗画廊「たかむら画廊」の跡取り息子で、菜穂自身も個人美術館「有吉美術館」の副館長をしているという絵画に造詣が深い女性だ。2011年3月の福島の原発事故による放射能漏れから避難するように京都にやってきた菜穂は妊娠していた。(篁って苗字、難しいぞって思ったの私だけ?)

「よりによってこんな時に・・・」と、自分の妊娠に素直に喜べない菜穂。

移り住んだ京都で、無名の画家の一枚の日本画と出会う。
それはまるでクレーのよう・・・いや、クレーとも違う。

京都で出会った一枚の絵が、彼女の運命を大きく変えていく。
この菜穂という女性の絵画を見出す千里眼がもの凄い。
無名の画家であろうが自分の心に突き刺さった作品であれば迷わず手に入れる。

その能力は、やはり必然であった。

 

みんなセレブだ

菜穂もそうだが、母の克子も、夫の一樹もセレブだ。
マハさんのキュレってる作品の主人公って結構セレブで追いつけない。
とりあえず菜穂の実家は田園調布だ!コッテコテだな。(笑)


現実の自分とは、かけ離れているからチラッと妬みが生まれたりもする。(笑)


セレブな人の我儘や傲慢なとこが全面に隠さずに放出されてるもんだから、この作品は、登場人物を好きになれないって人が続出しそうだ。


だが、私は菜穂が愛おしくて仕方がなかった。

 

マハ作品を多く読んでいると、こんな我儘で自分勝手な自己中女性が堂々と書面を闊歩してるもんだから、いつしか慣れてしまってるのかもだ。

その、自己中なところも、芸術とは近い場所に存在していて芸術家なんてもう自己中でなきゃやってらんない生き物かもしれないし・・・と言い訳を考えてあげたいくらい菜穂をかばってしまう。

 

『異邦人』のキュレってる対象は日本画だ。

私も日本画を勉強してきたから、良くわかる。
徒弟制度が厳しくて理不尽に泣く世界が日本画なのだ。
そんな隠れた闇の部分をジリジリといぶして、チクチクと攻撃しながら若い画家を応援してくれてる作品にも思えてならない。

いや、本当に原田マハって凄い作家だ。
美術界の救世主か?と、崇めたくなるの私だけじゃないだろう。

キュレってるって何?

装画は高山辰夫さんの『いだく』東京国立近代美術館 蔵

とりあえず、キュレってるのかも?
と期待して手に取った。キュレっていた。(笑)

そもそも「キュレってる」という言葉は、とある本好きが集まる倶楽部で辛口書評で楽しませてくれる女性が命名した俗語である。

原田マハさんはキュレーターだ。

キュレーターとは・・・

博物館・美術館等の展覧会の企画を担う専門職。分野に関する情報収集、選別(選定)を行う。 展覧会のコンテンツの収集・配置等、展示に関わる責任者。

そんな美術作品に明るいマハさんが得意とするのは、絵画の世界を描いた作品。

『楽園のカンヴァス』『ジヴェルニーの食卓』『暗幕のゲルニカ』を三大印象派キュレ作品とし、『ユニコーンジョルジュ・サンドの遺言』『モダン』『太陽の棘』『異邦人』とキュレ作品を中心に次々と新作を書いている。

直接キュレってるわけではなくても、題名からみて美術と関連してる作品は多数存在している。

『翔ぶ少女』は、登場人物の名前からもわかるが、文庫本の表紙なんてまんまサモトラケのニケである。

『生きるぼくら』には、東山魁夷の「緑響く」だったり、マハさんの体の中に流れる絵画への愛すべき思いが作品にダダ漏れしているのだ。

文庫化で表紙を実際のニケの彫刻写真だったり、「緑響く」の装画へと変更してるのがこの2作だ。断然文庫の方が私は好きだ。

さて、キュレってるマハ作品というのは世間的に見ても高評価だと思う。
特に、印象派時代の作品などは途中で絵画を検索しながら読み進めるのだから読書と美術鑑賞が同時に行える。
そして、画家の生涯まで覗けちゃうんだからたまらない。
けれど、マハさんは「楽園のカンヴァス」や「ジヴェルニーの食卓」に「暗幕のゲルニカ」、そして「異邦人」と、絵画をモチーフにしてはいるが趣向を変えて挑んできている。

楽園は絵画ミステリーでジヴェルニーは印象派の時代の画家たちがてんこ盛りだし、ゲルニカは巨匠ピカソへと迫った大作で同時に平和への道しるべのような役割まで与えてしまっている。

絵画に対する造詣は素晴らしいのだが、ストーリー的には作為が見えすぎてしまっているのが特徴でもある。

そんなマハさんだが、憎まれっ子世に憚る的にスタンスを変えずに挑戦するど根性パワーが大好きだ。

『異邦人』を読了したら、とりあえず近所にある信濃美術館に東山魁夷を観に出かけたくなった。

 

『黄色いマンション黒い猫』小泉今日子著 読了

SWIRCH連載「原宿百景」に綴った33篇+書き下ろし1篇

2007年4月号~2016年1月号に連載されたエッセイ。

でも、更新したことないんだ。
ファンに住居を暴かれては引っ越しするもんだから、すっかり引っ越し名人になっている。

16歳「私の16歳」で歌手デビューした国民的アイドルの小泉今日子ことキョンキョン。彼女の40歳から50歳までの10年間のエッセイは、私とキョンキョンが会話でもしてるようで実に不思議な読書体験だった。

まるで芸能界の空の上で羽ばたいてる華やかな世界の小泉今日子と、私と同じような「普通」の世界の真ん中にキョンキョンはとぼけた顔して座っていた。

80年代の青春時代のキョンキョン

キョンキョンがアイドルやっていた時代って、まんま私の青春時代なんだ。

ちょっと生意気で不良を気取っているくせに、怖がりで恥ずかしがりやに面倒臭いが口癖な、いわゆる思春期まっしぐら。

だから、このエッセイはそんな自分を懐かしみながらキョンキョンがいい女へと時を経ているのが嬉しくなる。まるで自分もそうだといわんばかりに。

特に、キョンキョンの母親のユミさん。最高だ。

私の母親とさほど変わりがない。かといって、私の母親もユミさんも、普通とはかなり離れた場所で自由なオーラを出しまくっている。

似たような母親を持つだけでなく、世界一恐れている姉を持っているところなども同じで次は父親は?となったが、父親だけは似てなかった。(笑)

気が付くと、自分とキョンキョンをすぐ近くに感じながら読み進めていき読了後には、次はいつどこへ飲みに行こうか?と、まるでマブダチ気分に浸っている。

ここには、なんてことない青春時代なくせに、実のところ彼女は「なんてったってアイドル」とか「夜明けのMEW」を歌ってドラマや映画に大忙しの人気者だったからびっくりだ。

キョンキョンは猫が好きだ。

表題にもある、黄色いマンションに現れた黒い猫の話・・・

20年以上も前

キョンキョンへ」と書かれた段ボールに黒い猫。

ファンからのプレゼントか?ああ、マンションもうバレちゃったのか?

こんな二つの思いが交差しながらも、大好きな猫がそこに「嬉しいけど忙しくて飼えないなあ~」なんて思いながら黒い物体を抱き上げようとした。

人間というものの耐え難い悪意に気が付いた。黒い猫は可哀そうに両目を潰されていたのだ。
これ読んだら、キョンキョンの受けた悲しみと怒りが痛いほどこっちに伝わってきたよ。辛かったね。可哀そうに・・・猫もキョンキョンも・・・

夜明けのMEW

エッセイを読んでる時に、私の耳にはこの「夜明けのMEW」が流れ始めていた。

http://j-lyric.net/artist/a000afb/l005dfb.html

きっと、キョンキョンの恋愛はこっそりとひっそり秘密だったんだね。
彼からもらったカセットテープを聴いてる時はそばにいるように感じられて嬉しかったって。
年相応の普通の女の子に戻って幸せだったんだね。

野次馬読者の矛盾

正直このエッセイを手にした時に、帯には「今だから書けること、今しか書けないこと。」
って、あったから、あの頃に噂になったチェックの彼とか、最近歳の差で話題にもなった亀な奴の話がチラッとでも読めちゃう?って野次馬根性で期待していた自分がいたよ。
ところがだよ、キョンキョンの日常の中で、私が求めている具体的な恋愛話って華やかな部分であって本来の小泉今日子とは違う演じてる部分かもしれない。


本当の小泉今日子って人は、もっと恋愛に不器用で発展途上だったり、かと思えば独りでいる自分を結構気に入っているのかもしれない。


ついつい、恋愛相談にも乗ってしまいたくなるくらい、小泉今日子がすぐそばにいるような気がしてならないんだ。

アイドルで手が届かない人の噂話って週刊誌パラ読みで通り過ぎる興味だけど、すぐそばにいる友人のそんな恋愛話しを興味本位で面白がるわけにはいかない。

だから、このエッセイはこれでいいんだ。ホッと胸をなでおろす自分がいて矛盾だらけ。

小泉今日子は本が好き

アイドル時代から、文庫本を持ち歩き時間が出来れば本を開いていた彼女。
最近小泉今日子 書評集」を購入して読んだが、なかなかの選書に驚いてしまった。

そこには97冊のおすすめがあるのだが、自分はその中で9冊しか読んでいなかった。
沼田まほかる2冊もおすすめしていて驚いた。私も2冊とも読了してるが)

育った環境で家族が読書好きだったこともあって、自然と母の本、父の本、姉の本と本棚から抜き取ってはミステリーや恋愛もの、ファンタジーと幅広く読んできたという。

 

そんなキョンキョンは、人としゃべるのが得意じゃないので本を読んでいたらしい。

そう本を読む仕草って両手で結界を張って

「今読書中ですから、話しかけないで」の、あのスタイルを作っていたんだろうね。

 

本を読んできた少女が本を読む習慣をずっと続けてきて、エッセイを出した。

文章がうまいのはあたりまえか?(笑)

キョンキョン、これからも一緒に歳を重ねていこうね。

あっ、装丁は和田誠さん。

『弱法師』中山可穂著 読了

能をモチーフにした不可能な愛を描く短編集

なんですけど・・・

能、全く興味なくて・・・大丈夫か?読めるか?な私だった。

が、なんと一気読み!

 

中山可穂さん初読みは、本スキーより絶賛おススメされた『弱法師』だ。

『弱法師』、『卒塔婆小町』、『浮舟』の三篇からなる短編の題名からして、何だか報われない恋愛が漂っている。

 

その1『弱法師』

難病を抱える少年。
母は、いわゆる魔性の女。息子の主治医で妻子ある男を虜にして奪ってしまう。
継父となった主治医と、難病の少年の親子を越えた愛。

母親のセリフにドキリと本を閉じそうになる。

「あの子は時々、女の目であなたを見る」


とてもじゃないけど、痛々しくて、非現実的な世界で溺れそうになった。

その2『卒塔婆小町』

本を開くと扉には「レスリー・チャンに捧ぐ」との一文が迎えている。

最初は『弱法師』で次が『卒塔婆小町』と続くのだが、レスリー・チャンに捧げているのは間違いなく『卒塔婆小町』だろう。

 

墓地に住むホームレスの老女が、新人賞をとった後に鳴かず飛ばずな作家の高丘に「伝説の名編集者」の話を語り始めるといった形式をとっている作品。
女性編集者の愛を得る為に、小説を捧げ続けた若き作家の息も詰まるストーリーが展開されていく。

 

中山可穂という作家の文章には血が流れている。


「ワインが喉元を滑り落ちていく刹那にほのかな桃色に染まる耳たぶ。難解な批評言語がシャンソンのように飛び出す小さな唇。原稿のページをめくるしなやかな指先。」

ページをめくる指先まで、ワインの熱量が伝わって体がジンジンと震えてくるようだ。
ここですっかり中山ファンになってしまった私だが、物語は結構重い・・・
軽くむち打ちな気分でドシンと胃が痛む。

 

叶わぬ愛には、命を削るほどの狂おしい愛が存在する。怖い・・・

その3『浮舟』

とりあえず、これは三角関係のお話しで合ってるよね?

でも、そのトライアングルの矢印がなんか・・・違う。

あの・・・この作家さん、同性愛に長けてる?
(この言い方はあってるのだろうか?)

たぶん、私が苦手とする分野なんだろうけど、微細な表現力にノックアウトされて一気に読まされてしまった。

次が欲しくなる

同性愛な作品をかなり苦手としてる自分だけれど、この壁を乗り越える使命のように中山可穂さんが私の前に現れた。


つうか、そんな壁を乗り越える使命って必要か?


ただ、文章が好きだわ。

全体に流れる「死」への向かい方や、溺れる愛とは違った狂った異形の愛。


さて次はどれにしようか・・・

 

『暗幕のゲルニカ』原田マハ著 読了

ゲルニカ パブロ・ピカソ

私の中で、生きているあいだに絶対観るべき作品の中に「ゲルニカ」はトップの次を独走している。ちなみに、トップは「サモトラケのニケ」である。


原田マハさんの最新作『暗幕のゲルニカの表題を見た途端に、2003年2月のあの事件を思い出す人は多いだろう。

 

ん?もしかしたら、何の事?と、首を傾げる人も多いのか?

ピカソが残したゲルニカという縦3.5メートル、横8メートルもの大きなモノクロームの作品は、1937年、スペイン内戦中に起こったナチスによるスペインの小都市・ゲルニカ空爆を批判して制作したものだ。

 

これは一般市民を標的にした人類史上初の無差別爆撃だった。

 

ピカソは故国を襲った惨劇に悲しみ、無慈悲なファシストたちに激しい憤りを抑えられず、激情にかられるままに猛然とスケッチを始めたという。

画面には、恐れいななく馬、驚きひるむ牡牛、瀕死の兵士、死んだ子を抱いて泣き叫ぶ母親・・・しかし、流されているであろう血の赤などは巨大なカンヴァスには乗せてはいない。

しかし、ゲルニカを前にした時に、その場所から一歩も動くことができないほどの衝撃を受けるだろう。爆薬の臭いが充満し、多くの市民の泣き叫ぶ声が聞こえてくる。

ピカソが1本の絵筆を武器に、「戦争」との戦いが圧倒的な力で君臨していた。

ゲルニカ」は1937年5月に開催されたパリ万博のスペイン館に展示するため、スペイン共和国から依頼を受けてピカソが制作している。

ナチス空爆を批判した「ゲルニカ」は、当時ヨーロッパで覇権を強めるナチスにいつなんどき没収され破壊されるか分からない。それを避けるために「ゲルニカ」を亡命させる必要があった。

スペインに民主主義が再び戻った時、「ゲルニカ」は故郷スペインに返還されている。
1981年、ピカソの死後8年が経過してからのことであった。

 

「事件」は国連安保理のロビーで起きた

2003年2月・・・

9.11のニューヨークで起きたテロ事件を覚えているだろうか?
そこから、「テロに屈しない」という言葉を纏って、戦争を始めたアメリカ合衆国を・・・

国連安保理は、大量破壊兵器を所有している疑いのあるイラクに対して軍事行為に踏み切るか否かを巡って激しい議論を繰り広げていた。そして、イラク大量破壊兵器を持っている証拠を示す会見を行うために、当時のアメリカ合衆国国務長官コリン・パウエルが、各国のメディアが集まっている安保理議場のロビーに登場したとき、その背景に「暗幕」が掛けられていた。いつもならそこには「ゲルニカ」のタペストリーが掛かっているはずだった。

一体、誰が「ゲルニカ」を隠してしまったのか?なぜ?

理由は自明である。

ゲルニカ」の反戦への強いメッセージを世界が共有しているからこそ、国務長官の背景に空爆を批判する絵があってはまずいのだ。

この「事件」のニュースが即座に世界中を駆け巡り、リアルタイムで目にした記憶はまだ新しい。

 

戦争を始める時の人間のあざとさ。

ピカソの力・・・つまりアートの力。

 

現在、「ゲルニカ」は、マドリッドにあるソフィア王妃芸術センターに展示されている。

『暗幕のゲルニカ

ピカソゲルニカを制作していた時代と、9.11のあの事件が起きた時代を交互にフィクションが史実にうまく組み込まれて、ピカソに明るい人はもちろんだが、そうでない人も一気に作品の虜になるに違いない。

マハさんは、ピカソを描くことが夢だったんだろうと思う。

ゲルニカの制作過程では、欠かせないドラ・マールという愛人が登場する。
彼女は自身も芸術家(写真家)でありながら、ピカソという天才の影となって「ゲルニカ」の制作現場を撮影した愛人として有名である。

あっ、これを言えば、誰もが知ってるドラ・マール。

ピカソの代表作「泣く女」のモデルがドラ・マールなのだ。
あんな、酷い絵・・・私だったら、泣くわ。
だって、もうピカソったらいくら何でも酷い。
「泣く女」を観た時に、このモデルに同情しない人は果たしているのだろうか?
私ならば、ピカソに向かって絵筆を投げつけるけどね。

 

 


膨大な作品を世に残した天才画家は、その私生活も興味深い。
ピカソ幼少時代から天才的なデッサン力を持ちながら、青の時代、薔薇の時代、そしてゲルニカに至るまで、容易に鑑賞できる作品は少ない。そこで、ピカソの人物像を学ぶとより理解しやすく、柔軟な目で作品を楽しむ事が出来る。

本来は、こうした先入観なく絵画を鑑賞すべきだろうが、ピカソは難しいのだ。

小説で学ぶ、印象派の巨匠たち

学生は、ピカソ印象派の画家を学ぶのであれば『楽園のカンヴァス』『ジヴェルニーの食卓』『暗幕のゲルニカ』を読むことをおススメする。

 

 手っ取り早く美術史にお近づきになれるに違いない。


特に、アンリ・ルソーの「夢」をきっかけに絵画ミステリーを描いた作品『楽園のカンヴァス』では、ピカソがとびっきり恰好良く書かれている。
マハさんの、ピカソ愛がダダ漏れ作品で間違いない。

 

ピカソに影響を与えたスペイン画家のフランシスコ・デ・ゴアという異端の画家がいる。

マハさん、いつかゴヤをキュレってる作品も出してくれないかしら?と期待している。

 

『暗幕のゲルニカ』は、絵画のもつ圧倒的な無言のメッセージの力を原田マハさんの筆力でしっかりと世に解き放たれた秀逸な作品だった。

 

絵と文章・・・他には、何があるのだろう?
あっ、音楽だ!

芸術万歳!!!

 

地震耳

熊本地震

熊本県を中心に、4/14(木)21時26分にマグニチュード6.5で最大震度7を観測した。

その28時間後の4/16(土)1時25分にはマグニチュード7.3で最大震度7の本震がやってきた。


14日の震度7が余震であるとの報道に目を見張る。余震で震度7・・・


熊本は火の国と呼ばれ、活火山の阿蘇山がある。
隣県である鹿児島には川内原発が静かに稼働を続けている。

 

被害が多くても気象庁の報道から消されているようにひっそりと世の中には知られていない、湯治場としても有名な観光地である大分県が心配だ。


大分県九重山は22日火山性地震を22回観測している。


そこに住む者のツイッターでは、ゴーーーーーとテレビの画面が割れるようなもの凄い地鳴りが続いているという。大分県、大丈夫だろうか・・・

龍の道

昔の人は磁気プラズマの現象を目のあたりにして、恐怖のあまりそれがあたかも龍神のように見えたのに違いない。


磁気は地殻の底からやってくる。

フォッサマグナ中央構造線に何があるか調べてみると、驚く事に龍の名がつけられた地名が多く存在していた。

http://www.menokami.jp/image/menokami/ryu03.jpg

http://www.menokami.jp/image/menokami/ryu04.jpg

日本地震予知協会Webサイト ~雲にきこうよ~のページより

 

断層上には神社が並んでいる。
古代の人々は、天変地異を龍の仕業とし、神社を祀ることによって災いを鎮めようとしたのだろう。

ちなみに、今年は諏訪神社の7年ごとに寅と申の年に行われる式年造営御柱大社である。

フォッサマグマと中央構造線の接点が諏訪神社にぶつかる。

ちなみに、鹿島神宮には要石という石があって地震をおさえている石として有名だとか。今回、この石が踏ん張ってくれているのかもしれない。

古代の退化した器官

私が生まれた昭和の40年代というのは、コンビニエンスストアなどもなくテレビもブラウン管で本体をガチャチャと回してチャンネルを変えていた。
薪をくべて風呂を炊いた家も多く残っていた時代だった。

そんな時代に、野山を遊び場として暮らしていた者には、自然界の声を感じる古代からの器官が残っているような気がしてならない。
台風が来る前や、地震が起きる前には、頭痛がしたり、耳鳴りが起こったり・・・

雨の匂いがする!

そう呟いて帰路へ走った子ども時代。

今の子ども達は風の匂いを嗅ぎ分け、雲の動きで天気を読むことができるのだろうか・・・

便利になりすぎた現代で、人間の鋭く敏感な器官がすっかり退化している。

私はというと、昔の人間なのか退化するはずの器官が今本領発揮をして活発に私に信号を送り続けているようだ。

耳鳴りという信号

4/18(月)の1時頃、皆がまだ寝静まっていた夜にそれが聞こえてきた。

キーーーーーーンといった金属音と鋭い痛み。
音叉を頭蓋骨で鳴らされたような不快な音が数秒続いて目が覚めた。

それから、寝られない。頭痛と、耳鳴りで朝を迎える。

どうやら、年齢的に更年期なのか?と、メニエール病などをネットで検索し始めた私。

これは、もう仕方ないので気分転換に本屋へダッシュ!
しかし、耳鳴りで平衡感覚もおかしくて、活字も気持ちが悪い・・・


夜になって、耳に何かを突っ込まれている違和感でもう気分は下降を続ける。

4/18 20:30 突然の水のような鼻血が私をビビらせる。
まさか、脳内で出血?(えらく、大げさな私)

すると、緊急地震速報発令 20:42 熊本、大分で震度5強

なんとなく、地震による磁場の影響に思えた私はテレビを付けっぱなしでFacebookの友達にメッセージで体調不良の相談をしていた。

 

すると、23時に突然テレビの音が聞こえなくなった。
耳が聞こえない・・・

水を飲んで耳抜きをする・・・
あっ、右は聞こえる。

左がダメだ。

突然、ピタッと聞こえなくなった左耳。

翌朝、耳鼻科へ飛んでいき「突発性難聴」と診断され、ステロイドの点滴を始めた。

 

それからも、キーンと突然音がしたり、全体的に水の中にいるような私の耳。

最初の時こそ、平衡感覚が取れない気持ち悪さと音の煩わしさで寝込んだけれど、もうすっかり慣れたわ。(笑)

地震耳だ!

これって、地震耳ではないか?

 

いや、絶対に、地震耳に違いない。

銀歯あるし、私。

磁場から銀歯に伝達して私の耳が振動してるんだ。

地震が治まって頃に、きっと地震耳も鎮火してくれると・・・

 

世の中、ここ数日、地震耳で苦しんでる方いるのかな?

と、ちょっと、ぼやいてみた。